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不定期連載〜屋根職人兄弟の足跡〜Part1

職人としてのキャリアのスタートはゼネコン。しかし…

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私達兄弟がまだ若い頃。その当時、弟はゼネコン関係の現場で職人をしていました。
一方、私はフリーター。彼は根が真面目で一本気で慎重派。私はあっちへフラフラ、こっちへフラフラとなんとかなる派。兄弟とはいえかなり好対照です。

そんな20代前半を気ままに過ごした私ですが、ひょんなことから弟と一緒にゼネコンで職人デビュー。
その後、妻と結婚、程なくして長男を授かりました。
そこから大きく人生は動き、そして変わりました。確りした大人としてのスタートが遅かったので、それまでの時間を取り戻すかのごとく一所懸命働きました。

しかし時代は1990年後半から2000年初頭まで続いた所謂ゼネコン冬の時代です。
スーパーゼネコンはまだしも準大手以下のゼネコンは非常に厳しい経営環境に曝されました。
私達がお世話になっていた準大手ゼネコンも他の例に洩れず民事再生法申請へ、一次下請けの会社は敢え無く倒産。建築業界と同じく私達兄弟の歯車も大きく狂い始めました。
働く舞台をゼネコンから住宅業界へ移し、職種も鍛冶屋(鉄骨や鉄筋の溶接やガス切断)からサイディング屋(人造外壁材)に変わりました。

正に人生の大転換期。私達は大きく舵を切り始めたわけです。

日本における住宅外壁事情を考えますとサイディング、モルタル、タイル、etcと大きく分けてその工法や材料は多種多様です。
例えばモルタル造の外壁ですと左官屋さん、タイル貼りの外壁ですとタイル屋さん、そしてサイディング屋さんと分かれます。
「もしも流行りや耐久性、その他の理由からサイディング自体が他の工法と比較して、使われなくなったら将来どうなるのだろう?」と突拍子も無く考えはじめました。
考え出したら止まらなくなり私は離脱。
兄弟仲が悪くなったわけではありませんが、私の個人的な考えから一時私達兄弟は分かれて仕事をすることになりました。

再び兄弟で仕事をすることになったのが何故か屋根業界

私たち兄弟は川崎で育ってきました。地元貢献の1つのカタチとして災害時にはボランティア活動をさせていただきます。

私はいくつかの会社に目星を付け、一番最初に面接を受けた会社でめでたく採用。
神奈川県を中心に屋根や外壁、所謂外装関係の工事を請け負っていた某老舗工事店に高卒以来の就職。
新たな始まり。不安はありましたが既に家族がいる身。不安を心奥底に封じ込めて一心不乱に技術習得に励みました。
毎日毎日仕事漬け。起床は毎日5時半。「今日中に絶対に終わらせるんだ!」と決めたら10時と15時の所謂いっぷくも軽やかにスルー。時には昼食もスルーし、「終わらせる」と決めたことに集中する日々。
クタクタに疲れ果てて帰宅して夕食を取ると起床が早いこともあってか20時には就寝。全ての生活行動は明日の仕事のためにありました。

そんな全力の日々を送っている私を客観的に見ている弟がいました。その頃、弟はいっぱしのサイディング職人。
ですが彼は彼なりに将来を憂い、未来に不安を抱え、自分のこれからを熟慮していた時期でした。

「将来を考えるとこのまま個人事業主でいるよりも、どこかの会社で社員として働いた方が良いのではないか」

そんなことが過ったタイミングでした(弟の回想より)。
そんな時期に「兄貴がいつも19時には帰宅してるということは拘束時間も悪くはないし、給料もそれなり貰っていると言っていたから、その会社に入社したら今の不安や悩みは払拭されるんじゃないか?」彼はそのように感じたらしいです(弟の回想より)。
この弟の安易な(笑)視点が私達兄弟の未来を運命付けました。
程なくして私の紹介でお世話になっていた会社で面談後、三ヶ月は無事に働くことができました。
しかし…(つづく)